「かもめ食堂」ご覧になった方もたくさんおられるでしょうから、あまりたくさんの紹介はいたしませんが、わたしが自分自身を八方ふさがりだと感じていたとき、この映画を観て大げさに言えば救われたと感じたので、八方ふさがりな人に少しでも役に立てばと、そのとき感じたことを書きたいと思います。
なぜ、人は八方ふさがりになるのか?
八方ふさがりにとは、自分のことを言えば、それはそれは自分ではどうしようもないつらいできごとが次々と起こって、自分で解決できない状態を想定しています。
自分の場合、そのような状況に自分が陥ってしまったのは、全て自分の業。自業自得です。自業自得、ああなんて強烈ななんと悲惨な、でもそれは紛れもない事実なのです。
かもめは海の表象
その八方ふさがりに陥った自分が、この映画を観てなぜ救われた気持ちになれたか。(もちろん救われるわけもなく、現実はあくまで冷徹に自分を苛み続けているのですが)それは、かもめが象徴する「海」の存在です。
どこの港にでも行ってみなさい。必ずあの独特の鳴き声を聞くことができるでしょう。♪ハーバーライトに~。キキが住み着いた海辺の町、どこにもカモメはのしのしと歩く本編のかもめのごとくおおいなる存在感で登場するのです。
「海」の体現者はかもめ食堂の女主人
かもめ食堂は、営業開始からなかなかお客さんが来ない。そこにふらっと入ってきた記念すべき最初の客はフィンランドに住む日本オタクの青年でした。彼はなんと日本語がぺらぺらで見た目も悪くない好青年なのですが、(後で発覚するのですが)友達がいない。
この珍妙な客に、女主人は最初の客ということで、永遠にコーヒー代無料と公言するのです。たぶんこの日本オタクは、フィンランドの街では変わり者の変人扱いだったかもしれません。
でも女主人は、その若者を、海のごとくおだやかな気持ちで受け入れるのです。このようにして(ずいぶん大雑把ですが、字数が尽きようとしているので)日本からやってきた2人の女性もそれぞれにおおらかに受け入れ、彼女らは、なんとかもめ食堂を手伝ってしまうまでになります。
ただの旅行者の2人に接客を任せるのです。彼女が他者を受け入れるのは、まだ続きます。現地のおばさんが、突然入ってきて酒を注文し、飲みすぎて倒れてしまったというこがありましたが、そのおばさんも受け入れて、自宅まで送っていってあげます。
かもめ食堂が開業する前の店舗の店主が、コーヒーメーカーを置き忘れ、留守の間にそれを取り戻そうと忍び込むということがあったのですが、それも警察につきだすのでなく、受け入れます。
すべてがゆるされる空間に身をゆだねる。
もちろんここにある問題は解決することはないのですが、かもめ食堂を観ながら、ああ自分はゆるされていると感じることで、カタルシスを得て、救われる。そんな映画が「かもめ食堂」なのです。
マジ最高
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